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8月4日
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後藤田正晴氏のインタビューを集めた本を読み返しながら、氏のおられた頃の自民党の層の厚さは今とは比べ物にならない、と、つくづく思います。

少し長いですが、インタビューを終えた佐々木毅氏の言葉を、(今の安倍政権の現状に警鐘を鳴らしていると思うので)、最終章からお借りして紹介します。

 

『後藤田さんの語り口には俗にいうところの派手なところがない。

「政治の課題は国民の生命と財産を守ることである」という何度も繰り返された命題はその一例である。

(略)

第一に目につくのは権力に対しての鋭い感覚であろう。(略)後藤田さんは権力の無制限な行使を求めるような

いわゆる権力主義に対して一貫して厳しい。これは軍や警察の場合でも政治の場合でもそうである。

そして、権力が有効に機能するためには自ずから限界が必要であり、それを超えると自滅の道を辿ったり、

あるいは却って問題を新たに作り出すということが示唆されている。

つまり、権力を動かす場合、なんでもない草原で車を走らせるような心境で動かすのではなく、

切り立った崖に挟まれた隘路を慎重に走らせるのにむしろ近い感じが伝わってくる。

(略)

これは裏を返せば、諸々の「主義」に対する警戒感という特徴になると思われる。

当然のことながら、「主義」は権力行使に必要な自制を無視し、しばしば暴走を許容することになるからである。

もっと平たい言葉でいえば、いろいろな「行き過ぎ」がそこから派生してくる。

従って、原理主義的な政治家は一国のリーダーにはなれないといった見通しも出てくることになる。

(略)

しかし、こうした「行き過ぎ」を実際に防ぐためにはどうしたらよいであろうか。

大勢に付和雷同し、「長い物に巻かれろ」といった振舞いを繰り返すだけでは、「行き過ぎ」は助長されることはあってもチェックはできない。

その意味で、後藤田さんは異論の大切さと不義に対して抵抗する気質の大切さを語っているように見える。

政治家や官僚について、あるいは広く国民について、このことは妥当する。

(略)

異論と相互監視というメカニズムがあってこそ、権力行使は暴走を免れ、権力は一定の合理性を保持できるというわけである。

民主主義は異論を唱えることを根幹にした政治体制であるという点で、こうした議論と十分に整合的なものでありうるのである。』

 

(「後藤田正晴」二十世紀の総括 生産性出版 1999年刊)